プロフィール

こんにちは💐

周りに振り回されない自分軸が出来て

自然とポジティブな自分になれる

『脱・毒親
アダルトチルドレン&共依存カウンセリング』

毒親、アダルトチルドレン(AC)、HSP の専門カウンセリングをしています。

心理カウンセラーの藤江美波です。

 

 

摂食障害、パニック障害、自律神経失調症、突発性難聴と、

今までの人生、長年つらさを抱えて生きてきました。

つらくても笑顔で頑張らなければと試行錯誤しながら頑張ってきましたが、

毎日頑張り続けた結果、心も体も疲弊してしまいました。

 

そしてその生きづらさの原因が

アダルトチルドレンでHSPだったのです。

 

現在は3人の子育てや母の介護を終え、

心理療法を勉強し、人生経験と知識を生かして、

毒親 アダルトチルドレン HSP

専門カウンセラーとして活動しています。

私が過去にカウンセリングを受けようとした際、「カウンセラーさんがどんな人物なのか」

分からないので、「会うのは怖いなあ」という思いでした。

カウンセリングをお受けになる際は、カウンセラーとの相性がとても大切になりますし、

特に、アダルトチルドレンやHSP の繊細さんにとって、カウンセラーがどんな人物なのか、

とても大事にされるかと思います。

私のことを少しでも知って頂き、改善への一歩を踏み出すきっかけになればと思い、プロフィールを掲載しています。

私がどのような悩みを抱え、どのような経緯で悩みを克服し、現在カウンセラーとして生きているのか。

ご興味を持っていただければ、幸いです。

簡単なプロフィールをお読み頂き、ご興味がございましたら、長くはなりますが詳しいプロフィールをご一読ください。

【プロフィール】

・3人家族の一人っ子。父は自営業で、自宅が仕事場でした
・表向きは仲の良い家族だが、父と母は常々喧嘩し、日常的に不穏な空気が流れていました
・高校2年生頃に拒食、過食を繰り返し精神的にも辛い状態が続きました
・保育の短大に進学、保育士幼稚園経論の資格を取得し、乳幼児心理学を学び心理学に興味を持ちました
・就職後、職場で突然過呼吸になり自律神経失調症、パニック障
害で1年2ヶ月で退社
・母の通い介護が始まり、家と実家、仕事場を行き来し疲れきってしまいました
・突発性難聴になり、酷いめまいが続き不安な毎日を過ごしていました
・介護のためには父と母と同居
・生きづらい人生には毒親、アダルトチルドレン、HSPという背景があった事が分かる
・心理カウンセリングを受け、何十年と苦しんだつらさを克服する
様々な心理療法に出会い、自分に合った心理療法を確立する
・心理カウンセラーとして幸せ循環ワークをご提供しています

 

今現在、生きづらさを抱えて生きていらっしゃる方には、

早くにそのつらさから脱出し、自分は幸せだと感じて生きて頂ければと願っています。

 

 

【詳しいプロフィール

父と母の罵声が飛び交いビクビクしていた
幼少期

 

 

両親と私の3人家族で、父は自営業で母は事務をしていました。家そのものが仕事場でした。

ご飯を食べるのも、帳簿を付けるのも、商品の荷造りするのもそして寝る場所も1階の小さな居間でした。

一見外から見ると普通に過ごす家族に映っていた様ですが、

毎日罵声が飛び交う機能不全家族でした。

 

父は朝から機嫌が悪く何かにつけて文句を言い、母と言い合いになり、私に対しても鬼の形相で気に食わないと怒鳴りつけて来ました。

それが幼稚園、小学校に通う頃の朝でした。

朝起きて2階から1階に降りる時には、今日は父に迷惑がかかっていないように、私が迷惑をかけないようにと祈りながら、怒鳴られる事にビクビクしながら、階段を降ります。もうその時には父と母はとっくに言い争っていました。そしてやっぱり私も怒鳴られ、今日も私はダメだと思いながら落胆する毎日でした。

 

楽しいはずなのに何故か気を使い疲れてしまう

 

学校では明るく活発な方でした。家に帰っても、友達と思い切り外で遊んでいました。

中学生になるとクラブ活動はテニス部に所属し、ワイワイすることが好きでした。

ですがワイワイすることが好きな反面、常に人の顔色を伺っているところもありました。

自分の意見が言えず、人の意見に合わす事が多く

あの時本当はあれが良かった、こうしたかったと、後で後悔することがしばしばありました

中学生の頃には自分の意見が何かさえ分からなくなっていきました。

友達と遊びに行っても、楽しかったはずなのに家に帰ると、ぐったり疲れてしまっていました。

そして小学生の頃から割と不眠症で、眠れない日が続く事もあり辛かったですが、なんとか学校へは行っていました。

 

父と母には私の存在は無いものなのかと虚しく感じる

 

     

 

 

父と母の激しい口論も年々酷くなっていき、父と母ともに私への対応も粗雑になっていきました。

父も母も自分の機嫌で私に怒りをぶつけ、私が悪いかのように怒鳴られ、挙げ句の果てには叩かれ蹴られる事が度々でした。

私が父や母に用があったり、伝えたいことがあって父や母を呼び止めても、無視されるか怒鳴られるかのどちらかでした。

私への対応は、父と母のその時の気分で明らかに変わりました。

そうしているうちに私は怒られてばかりでダメな子だから、両親の不仲は私のせいなのではないかと思う様になりました。

「私のせいで父と母は喧嘩しているんだ」

「私は邪魔な存在なんだ」

常に心の片隅にその気持ちがありました。

父と母の言うことに間違った反応をしてはいけないと、常に気を張っていました。

私は父と母に仲良くなって欲しくて、自分さえ我慢すれば、自分が嫌な立場でも受け入れていれば、仲良くなるのではないかと思っていました。

 

親は子供を邪険に扱って当然でしょ?そんな風に教えられている感覚でした。

しかしそれでは自分が凄く辛く、世の中の子供は可哀想過ぎると思いました。

私に将来子供が出来た時には、子供にはこんな仕打ちをしないと心の底から思っていました。

 

母の相談役、私がいるせいで離婚が出来なかったと聞かされ申し訳ない気持ちに

 

 

小学校の高学年くらいから私は、母の相談役になっていました。父の悪口を毎日のように私に話す母。
父の横暴さも私は分かっていたので母が可哀想でした。

母の力になりたいと、そう思いつつも子供心に父も母もどちらも同じではないかと感じたりしていました。

父が一方的に悪い訳ではないと思うのですが、母も辛いのだからと思い母を慰めていました。

母は以前何度も離婚を考えたが、私が居たからしなかったと話すことがありました。私が居なかったら離婚していたのにと。

私は何か自分が申し訳ないような、そんな感覚になりました。

 

摂食障害で体重が一気に14キロ減ってしまう

 

 

高校生の頃には、父と母の口論は以前より激しく、より頻繁になりました。私は高校2年生の頃、拒食症で食べれなくなり、過食症で食べては戻しを繰り返し、体重は一気に14キロも減りました。

摂食障害で数年食べるのが怖くなっていました。

世間体を異常に気にする父と母は、私の変わっていく姿を気にしてくれるどころか、気にしてくれている親戚やご近所の方に、食べない私が悪いと話していました。

父も母もどうして私がこの様になったのか、何が悪かったのか考える事も無かったのだと思います。

また私が悪いんだと辛い状態の自分を責めていました。

こんな理不尽に感じる中でも、私は父と母についていくのが必死だったと思います。

だんだんと私なんていなくなれば良いのに。消えてしまいたい。そう思うようになっていきました。

 

精神状態が不安定なまま短大へ
初めて心理学に触れる

 

精神的に不安定なまま、保育の短大に進学し2年間保育を学び、保育士、幼稚園経論の資格を取得しました。

そしてこの頃、乳幼児心理学に興味を持ちました。

その時初めて心理学というものに触れました。もっと勉強をしたいという気持ちになりました。

家に帰ると父も母も常に機嫌が悪く、一触即発の状態で、少し話すだけで罵声が飛びました。

私は父や母が喧嘩しないように、父や母が楽に生活できるようにと日常的に父と母の都合にばかり合わせていました。

高校生や短大生の頃はなんでも楽しい時期と世間では言いますが、私は常に父や母の事を悩んでいました。

どちらかというと毎日が苦痛と感じていました。

友達に話すことも、父と母の不仲が多く本当に悩みでした。

 

就職するも職場で突然過呼吸で倒れてしまいパニック障害に
1年2ヶ月で退職

 

短大を卒業して事務職につき1年2ヶ月勤めました。
入社して間もない頃から残業と早朝出勤が続き辛かったですが、
会社の方々はとても良い方達でしたので残業などで辛いけど、楽しい職場だなと感じながら勤めていました。

しかし家に帰ると父と母が酷く争う状態で、家に帰っても夜眠れない日が続きました。
私は母と同じ部屋で寝ていたのですが、母はずっと文句を言っていて、私がなだめていました。

私は残業や早朝出勤で毎日疲れてましたが、母は全く私への気遣いなどはなく辛い毎日でした。
元々不眠症でしたが毎日の様に眠れない日が続き、
残業や早朝出勤が続いていて3ヶ月が経った頃から微熱が続く様になり、毎日解熱剤を飲みながら会社に通いました

微熱で辛いのを我慢しながらも会社に通い1年が経つ頃、会社で突然過呼吸になり、立つのもままならないまま病院に運ばれ、自律神経失調症と診断されました。

帰宅後起き上がることが難しい状態になり、会社は辞めざる終えなくなりました。

起き上がることは出来る様になりましたが、外出が怖くなり、好きだった買い物にも出れなくなりました

病院を転々とし、色々検査を受けるもはっきりした病名が分からないまま、体の状態は良くならなくて辛い毎日が続きました。

自律神経失調症も患っていましたが、今でいうパニック障害もあったのだと思います。電車に乗るのも怖くなっていました。

そして仕事をしていないという事にも後ろめたい気持ちになり、ダメな人間だと自分を責める毎日で本当に辛い日々を過ごしました。

 

22歳で結婚。子育て中、私自身の幼い頃の母との関係を思い出し辛くなる。

子育てをしている中、私は子供達の姿をみて自分と重ねていました。どうして私は両親に粗雑に扱われていたのだろうか。
この子達と何も変わらないのに。

泣きじゃくったり、言うことを聞かなかったり、そんな事は小さな子には普通にある事なのに。
幼い頃の私と変わりはないと思うのに。

母は私が幼い頃から私は悪い子だとずっと言っていました。
何か行動を起こすとそんなことはするなと怒鳴られ、話しをするだけでうるさい子だと責められていたので、

ずっと自分は悪い子なんだ、何をしてもダメな子なんだと思っていました。

両親の仲が悪いのも私のせいなのではないかと感じていました。

でも何がこの子達と違うんだろうと、子供達と公園で遊びながら、子供達の姿を眺めながら、私はなんとも言えない辛い気持ちでいっぱいになりました。

 

母の相談役で父の悪口がどんどん酷くなり
苦痛になる

子育てと仕事と日々手いっぱいの中、母は毎日の様に父の悪口を話しに家に来たり、電話をしたりして来ました

実家とはそんなに離れた場所ではなかったので、母は毎日のように父の事を話しに家に来ていました。

話を聞いていると母の事が凄く可哀想に思うので、聞いてあげる事しか出来ないのが申し訳けないけど、聞いてあげるだけで楽になるのならと思っていました。

ある日今の家から引っ越しすることがある程度決まった頃です。

今の家よりは実家から少し離れてしまう事を何度か母に話してはいましたが、決まったと言うことで母に改めて告げた時、母は怒り出し私に怒鳴りつけました。

お父さんの悪口は今後誰に言えば良いの?
あんたは本当にひどい子だと。

そんな風に言われた私は罪悪感でいっぱいになり、母に本当に申し訳なく思いました。

 

家と職場と実家に通い母の介助で追われるような毎日。子供達、主人への罪悪感。

そして私が38歳の頃から母が入退院を繰り返す様になり、それまでも何かあれば私が車で送り迎えをしていましたが、より頻繁になり仕事も休んで送り迎えをする様になりました。

母の入退院は足の骨折が原因でした。

以前からもそうでしたが、より頻繁に母に呼び出されるようになりました。

買い物にも連れて行かないと怒鳴るのです。

実家に食品を届けるという選択肢はありません。
そんな事をすると酷い子だと罵られるのは分かっていました。

そして私も行ってあげなければ可哀想だと思って頑張り、毎日のように母を乗せ病院や買い物などを車で周りました。

こんな状態が7、8年続いた頃には
母は歩く事が困難になり車椅子での移動状態になり、
そして少しづつ認知症が進み、

時々食べた事を忘れたり、お手洗いも時々分からなくなりました

それからはヘルパーさんにも協力して頂く事になりありがたかったです。

ですが父はヘルパーさんには来てもらわなくて良いのにと言うのです。以前から他人が家に入るのを嫌っていました。

私だけでは負担が大きく辛かったですが、
最低限しかヘルパーさんには入ってもらえなくなり、

やはり私は仕事が終わってからの介護がずっと続いて、自分の家にほとんどいない状態で、子供達が家で待っているという事に罪悪感を感じながら、通いの介護が続きました。

 

母の介護の中、今度は父の相談役に。

 

母は認知症になりましたが、意思はまだはっきりありました。

その中で父は母を施設に入れてはどうかと私に言ったのです。
母の予算範囲で施設に入れるならそうしたいと。

私は今一緒に母と暮らしている父が良いならとケアマネージャーさんに相談しましたが、

実際施設に入るとなると予算が足りない事がと分かりました。

父にそのまま伝えると、予算が超えるならしょうがないなと、もうそれ以上何も言いませんでした。

かといって今の生活は変わらず続き、どんどん父と要介護の母との不仲が酷くなっていきました。

私が実家に行き母の介助を終え、家に帰った後すぐに、しょっちゅう父から電話がかかってきました。

母が父の言う事を聞かないという母への苦情でした。

 

怒りながら怒鳴り声で電話をかけてくるので、父と母に何かあってはいけないと気が気じゃなく不安でした。

私も疲れていましたが、電話があればすぐに実家にトンボ帰りしました。実家に戻ると毎回父と母が酷く罵り合っていました。

私も止められないくらい、本当に父と母の言い争いが酷く、父の顔は鬼の形相で、母は玄関扉を開けたすぐ前に寝ながら目を瞑って怒鳴っていて玄関から動かずストライキを起こしたりしていました。

このままでは本当に何かあってはいけないと、凄く心配しました。

私が間に入ることでなんとか落ち着いてもらいたいと必死でした。

 

母の介護、父と母の争い、仕事、家事育児、ストレス過多で突発性難聴、酷いめまいで歩けなくなる

そしてある日、私は左耳が突然全く聞こえなくなりました。突発性難聴でした。聴力は元に戻らず少し落ちたままになりました。

そしてその後少し経った頃、めまいが酷くなり、歩くこともままならないまま、毎日が不安でした。

燃え尽き症候群の様な感覚もあり、何事にもやる気が起きなくなりました。

酷いめまいは耳鼻科でも治らず、知り合いの勧めで初めて心療内科へ行きました。
話を凄く聞いてくれたわけではなかったですが、薬をいくらか処方してもらいました。

完全には良くはならなかったですが、薬を飲んでいるのでしんどいながらもなんとか仕事に行き、通いでの介護はしていました。

 

介護のため父と母との同居を考えるも、幼い頃からの出来事のせいで、心の中では同居したくは無かった。

私が家と実家、仕事とを行ったり来たりして、本当にくたくたになっている私を見ながら、家で子供達をみていてくれた主人が、見るに見かねたのだと思います。

同居して介護をすればみんなで手伝えるのではないかと提案してくれました。

しかし同居は家を新たに考えないといけません。

そして私はもともと父と母とは同居したくはなかったのです。

常に不満を感じて文句を言っている父、常にイライラしている母。そして私への酷い対応。

一触即発を感じながら日々を送るのは辛かったし、私の居場所は実家にはないと感じていたので、結婚当初も帰る実家は無いと主人に言っていたくらいでした。

実際、実家はあり両親も家には居るのですが、それはあくまでも表向きです。

私は両親の会話自体見た事がありません

どちらか一方が話し出すとすぐに口論なので、キャッチボールの様な会話を一度も見た事が無かったです。

しかし同居は父と母と私と3人の暮らしではなく、
子供達も一緒に住んで日々を送れば父も母も変わるかも知れないという思いもありました。

一泊の旅行にはみんな一緒に何年も行っていたのです。

そこでは口論も聞くことも無かったし、もしかしたら以前の3人家族での暮らしとは違って、うまく暮らせるかもと、私は同居して家族皆んなに介護をサポートしてもらおうと思いました。

父と母に新しい家に同居しないかのと話をしましたが、同居なんてしなくてもこのままで大丈夫だろうと半分笑って父は言いました。

どう見てもこのままでいいはずが無かったのにです。

私は毎日がもういっぱいいっぱいで大変過ぎるからと思っての案だったのですが、そのことを父は話し合おうとする事も無かった。

父は以前母を施設に入れようと思うと話していましたし、現状が大変な父のためにと私は、毎日実家に通って母の介護をしていました。

私が辛いという事には父は何も感じていないのです

私が実家にしんどくても通う事が当たり前だし、何かあれば私に怒鳴って電話すれば来るだろうと思っていたのだと思います。

しかしやっと今後どうするのかを話しました。
そのうちに同居しないとしょうがないなと父は言いました。

 

母が全介助になり、
辛い気持ちでいっぱいになる

同居の話が進んで何度目かの母の入院。
認知症もさらに酷くなり母は退院が出来る状態に回復しても、
父だけが居る実家には帰れなくなりました。

誰かが全てを介助しない限り母は寝たきりの状態です。

介護の体制が整っていない家には戻れないので、同居出来るように家が出来るまで一時的に預かってくれる施設に入ることになりました。

 

両親と同居、介護に協力出来ない父、
同居の介護の中での私の孤独感。

そこから新しい家に父と同居し全ての介助が必要になった母を迎え、家族7人での生活が始まりました。

毎日の介護は大変でした。
主人も3人の子供達も進んで介護に協力してくれました

しかし父だけが介護に協力的ではなく、みんなが寄って介助してる姿を見て、もっとこうしたら良いと口だけ出していました。

私は一日何度も無理な体制で母を支えるため、体を痛めてしまいました。
そして認知症がひどくなった母は、毎日大声で私に文句を言い、会話は出来ないので、私は孤独な空間に辛くなっていました。

でもなんとかしないといけない。
「一人っ子だから」
「両親をみるのは私しかいないのだから」

頑張らないといけないと思いながらも日々体力的にも、精神的にも辛くなっていきました。

主人も子供達もケアマネージャーさんも私を心配してくれていましたが、父だけが本当に知らない顔をしていました。

 

父の酷い言葉に私は呆然とし、
どうしようもなく辛くなり鬱的症状になる

 

介護は毎日の事で、私が具合が悪いからといっても、やめることは出来ません。

私は体が痛くて動かし辛くなってきてから何ヶ月も我慢しながら続けていました。
整骨院にも通いながらでした。

子供達も主人も、ケアマネージャーさんも私を心配してくれました。もう介護をやめても良いのでは無いかと、本当に心配してそう言ってくれました。

私は体も痛かったのですが、徐々に精神的にも追い込まれどんどんしんどくなっていきました。

意を決して父に私の体調が悪い事を告げたのですがその瞬間、父の怒鳴り声が響きました。

私の体調など全く、気にもしてくれなかっただけではなく、

「どうしてくれるんだ、何もかもがお前のせいだ」

と吐き捨てる様に言いました。

同居する前からでしたが、介護は私がして当たり前、自分は仕事があって忙しくて送り迎えも出来ない、何かあったら私を呼び出せば良い、私の家がどうなっているかなんて知らない

というスタンスは同居しても変わらなかったのです。

父は同居を機に変わるのではないかと少し期待していたのですが何一つ変わりませんでした。

ずっと昔からですが自分にとって都合が悪い事は人のせいにするのです。

自分だけが正しいのだと私にも言っていました。

「俺の言う事をだけを聞いていれば間違い無い」

父のこんな姿を見た事が無かった主人や子供達は驚いていました。まさかそんな人だとは思わなかったと言っていました。

それから私は体力的にも精神的にもかなり落ち込みました。
父は酷い態度で暴言を吐いても何事も気にせずに、謝る事も無くいつものように過ごしていて、私はというと父にどう話しかけて良いか分からないし、いつ責められるのだろうと思いながら顔を合わすのが辛くビクビクしていました。

 

父と母が毒親だったんだと知り理解するも、
毒親と思うことで罪悪感に苛まれる。

 

あんなことがあって、主人とも色々と話し合う中、1冊の本を勧められました。

毒になる親という本でした

私はそのタイトルを聞いて驚き、毒親というワードを受け入れる事が出来無かったのです。
しかし勧めた主人も勧めにくいけどという感んじでしたが、取り敢えず毒親診断をしてみてと言われ診断するとほぼ全て当てはまりました。

主人は以前から父と母の発言に疑問を持っていると何度も話していましたから、この診断結果には納得していました。

自分の父と母は毒親ではないと思いたい部分もあったのですが、毒親と診断が出たので、私は幼少期からの事を思い返していました。そして介護を通して父と母は本当に私のことなんて思って無かったと感じましたし、今までも自己中心的な人達だとは思っていましたが、毒かというと、親に対して酷いことを言ってるのでは無いかと罪悪感に苛まれるのでした。

 

生きづらさの原因。
私はアダルトチルドレンだった。

毒親、アダルトチルドレン、機能不全家族、HSP、共依存、たくさんの本を読みました。私の何十年の人生の生き辛い理由がここにあったんだと凄く腑に落ちました。

私は私自身を悪い子なんだと、私のせいで父と母は争っているんだとずっと自分自身を責めて来ました。
その罪悪感でいっぱいになっている私に、もっと父と母は私が悪いのだから言う通りにしなさいとコントロールしていたのです。

その事に私は気づくはずも無く、ただただ自分を責め続け父や母に許してもらわないといけない、父や母が望むように、思うようにしてあげないといけないと頑張り続けていました。

自分は悪い子だからと私自身が楽になってはいけないのです。

常に父と母の顔色ばかり伺っていた幼い頃から何十年経っても、コントロールから逃れられなかったのです。

 

こんなに私の事を考えてくれる家族に、
辛い思いをさせたく無いと思い、
人生初めてのカウンセリングを受ける

 

本を読み見進めるうちに、私はなんらかの心の治療をしないと今後の人生、また同じ事の繰り返しだと気付き、

カウンセリングを受けようと思い切りました。

1対1のカウンセリングや、グループでのカウンセリング、講座をじっくり受けました。

あの時カウンセリングを受けようと思い切った事は,
間違いでは無かったです。

受けようと思った自分を褒めたいと思う程です。

今まで自分ではどうにもならなかった心の問題。
専門家に頼る事を選んでいなければ、もっともっと周りの大切な人たちを辛い事に巻き込んで、自分ももっと辛くなっていたでしょう。

 

現在、自分軸で幸せに過ごせる
自分を確立する。

そしてカウンセリングを受ける事で
心理学をもっと学びたくなり、たくさんの勉強をしました。


それまではずっと私の心の軸は、父や母がどう思っているかで動かされていました。

父と母が怒って無い事が私の考えや行動のもとになっていた事に気づきました。
全て父と母で生きてきたので、
私自身を生きていませんでした。

そんな父や母の軸で、自分以外の他者の軸で生きて辛かった私が、生まれ変わったかのように、今では夫や子供達、大切な人達に囲まれて幸せな日々を送っています。

 

「変わりたい」と強く願う事で、必ず自分で自分を救う事ができる

 

自分を責めてしまい、自己嫌悪に陥り、自分を否定し、他人に心を委ね、振り回されている自分を変えたいと思えば変える事は出来ます。

かつての私もそうでした。心も辛くなり、体は病気で動けなくなり、自分なんていなくなれば良いと思いながら生きていました。

それは非常に辛い事です。

 

心理学を探究した事で《幸せ循環ワーク》が生まれました。

この《幸せ循環ワーク》を実践しているうちに、
何十年の苦しい思いや、辛い体調からの苦循環から、
もっともっと自分軸になり、自然とポジティブになれる
幸せ循環になりました。

あれだけ接するのも辛い存在の父と母でしたが、
今ではちょっと変わっている父と母だと
思えるくらいになりました。

 

そして今現在、

かつての私のように両親の事で悩んだり、

生きづらいと感じている方がいらっしゃるなら、

楽に生きるお手伝いをしたいという思いで

活動しています

 

現在、脱・毒親 アダルトチルドレン&共依存
カウンセリングをしています。


《幸せ循環ワーク》
を実践して頂く事で、
自分らしさの本質が分かり、毎日が楽しめる人生
生まれ変わります。

 

・人目が気になり自分の意見が言えず惨めな気持ちになる方

・人に気を使いすぎて長く接すると疲れ果ててしまう方

・自分の親は毒親では無いかと感じ辛い方

・HSP気質で色々気付きすぎてしんどい方

・自分が悪く無いのに何事も自分のせいでは無いかと自分を責めてしまう方

・アダルトチルドレンで共依存の方

 

かつての自分のように、毒親で苦しんでいる方が

一人もいなくなる事を願っています。

 

生き辛く、周りに振り回されていた人生が

《幸せ循環ワーク》

を行うことで、周りに振り回されない自分軸がしっかりと出来、自然とポジティブな自分になれます。

 

毒親、アダルトチルドレン、共依存やHSPで今辛いと思っていらっしゃる方の、希望になれていれば嬉しいです。

 

お読み頂きありがとうございました💐

 

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