幸せな人生、幸せでない人生の違いとは!?共依存について

幸せな人生とは、どうゆう人生でしょうか?

自分が自分らしく生きて行くことが出来る人生です。

では自分が自分らしく居られないとはどうゆう事なのでしょうか。

共依存という言葉をご存知ですか?

共依存の言葉の始まりはアルコール依存症の夫を持つ妻たちが

苦しんでいる様子を、目の当たりにした援助者が使い始めました。

妻は、夫のアルコール依存症をなんとか解決しようと、

一生懸命に夫に怒ったり、介抱したり、夫の失敗の尻ぬぐいをしていました。

 

崩れていく家庭を、夫に代わって守ろうと必死だったのです。

 

ところが、妻が必死になればなるほど、問題の当事者である夫は、

自分の健康や社会生活、家族のことに責任を持たなくなり、

ますますアルコール依存になるという悪循環が生じていました。

そして妻はますます悩み、

夫のため家族のためにもっと自分がしてあげないといけない

もっと必死に尽くしてしまって疲れ果ててしまうのでした。

 

そんな夫と妻の関係こそが共依存の関係です。

 

 

お世話をしないといけないと自分を犠牲にする妻と

お世話をされても自分で解決しない夫の一方的な関係なのです。

反対に相互依存という言葉があります。

それぞれお互いがしっかりと自立出来ているうえで、

状況によってはお互いに依存し合うことも

出来るということです。

 

あくまでも、お互いが自立していることが前提です。

お互いの立場を入れ替えることが出来ることが相互依存です。

共依存は今ではアルコール依存症の夫を持つ夫婦でなくても、

そのような構図を持つ親子や恋人にも使われるようになりました。

 

かつての私も共依存の親子関係でした。

10年くらい前の事ですが、

母が入退院を繰り返していた頃、

母が自分で出来ることや父が変わってできる事も、

私が全てしないといけないと一生懸命にしていました。

買い物ひとつも、私が仕事や家事、子供達のことで

時間がなく、てんてこまいでも、

母から私に買い物へ行って欲しいと

電話がかかってくるのですが、

私が行ける時間に買い物して届ければ良いのではなく、

毎日のように母自身も連れて行かないといけなくて、

ものすごく時間がかかってしまい私は自分の家のこともあるのに

クタクタでした。

その時は母がかわいそうだから

私の母親なのだから私がしてあげないといけない

と思ってしまって、

どれだけ時間を裂こうがクタクタになろうが

私は進んで母のお世話をするのでした。

 

父にお願いして欲しいとも言えないし、

父も出来ないと言ってしないことはわかるので

私さえ犠牲になればそれで良いとさえ思っていました。

 

ですが私がすればするほど

母も問題解決しようとしなくなり、

父も私がするからしなくても良いという

悪循環でした。

そして私は突発性難聴になり、酷いめまいで歩けなくなりました

 

夫婦、親子、恋人、共依存の関係の人生では、

自分らしく生きることが出来ません。

 

常に誰かの犠牲なのです。

 

共依存の改善は自分に焦点を当てること

 

自分軸でいるということが鍵です。

 

誰の犠牲にもならず、誰も犠牲にしない。

 

そんな相互依存の人生が良いと私は思います。

 

・常に誰かの犠牲になっている

・自分の気持ちがわからない

もしこんな気持ちで毎日を過ごしていて

つらいと感じていらっしゃるのであれば

是非、脱・毒親 アダルトチルドレン&共依存カウンセラーの

私にご相談下さい。

必ず不幸な循環から幸せ循環に変化します

 

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